大小の起き上がり小法師。

 誰もが忘れられない日になってしまった3月11日。あの日、どこで何をしていたか、大きな被害に合わなかった方でも記憶に残っていることと思います。

 当院は、午後の外来が始まってすぐのころでした。検査のために調節麻痺剤を点眼して待っている親子連れが二組いて、「こんなに充血がひどいのは花粉症とは思えないのですが…」と訴える患者さんの話を聞いているときに、グラッと揺れ始めました。

 これは尋常な地震ではない、と直感して患者さんの話をさえぎり、クリニック入り口の自動ドアを開け、電源を切るようにスタッフに指示しました(これはいつも地震のときに、訓練も兼ねて毎回やっている行動でした。閉じ込められるのが怖いので)。

 しかし、あまりに長く続く揺れに、「ど、どうしよう。うちの内装は信頼している建築士の人がやっているから倒れるものはないと思うけど、建物はどうなんだろう、外に出たほうが安全なのかしら」などと悩みつつも、開いたドアから走り出ようとする子どもを引き止め、赤ちゃんを抱いていたお母さんを抱えるようにして、「もし建物がくずれるなら、私が上に覆いかぶさったほうがいいのかしら」などと、あまり現実的でないことを考えていました。結果的には、建物は大丈夫でしたし、屋内でも何一つ倒れたり落ちたりしませんでした。

 その後、当日は患者さんの来院はありませんでした。翌日の土曜日は、クリニックに泊まりこんだスタッフを早めに帰らせようと思ったのですが、後から後から患者さんが来院しました。そう、この2011年は、スギ花粉が非常に多く飛んだ年だったのです。

 翌週もまだ都内の交通網は混乱していて、店頭からは米、パン、インスタントラーメン、納豆、卵、牛乳、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、ミネラルウォーターが消えて行きました。そんな中でも、花粉症の患者さんはどんどん来院しました。

 「こんなに目がかゆいのは放射能のせいですかっ!?」

 「ヨウ素をください」

 そんな、やや混乱した外来ではありましたが、2011年3月は、月末を迎える前に黒字になることが判明しました。開業して初めての単月黒字。でも、さすがにこれは喜べませんでした。医師として被災地のためにできることはないのか、ここで診療していていいのか、とずっと自問する毎日でした。

 バイト先の院長は「被災地に行く!」と言い張って、「いま行っても眼科医は役に立たないから」と止められていました。確かに眼科医は、災害時にはあまり役に立たない医者です。しかも、器械・電気がないと診療できません。眼科医会・眼科学会からの報告を読んでも、人的な支援というより、義援金、器械や薬品の提供が主だったようです。

 その後は「Vision Van」という眼科診療バスがアメリカから貸与され、被災地眼科診療に活躍しました(記事はこちら)。これはこれですばらしいけれど……。私も被災地の役に立ちたい! でも、まとまった金額を寄付できない!(これは情けない…)と、悶々としていました。

 そんな時、「東北の日本酒でお花見してください」という動画を見て、飲むなら東北の酒と決めました。そして店が津波で流される動画でその名前を思い出したお菓子「かもめの玉子」をお取り寄せしたのがきっかけとなり、その後も、ずっと東北のものを色々と食べ続けています。金額にしたら大したことはないので単なる自己満足かもしれませんが、何かせずにはいられないのです。

 ひとり開業の院長、それも眼科の場合、震災時に医師として役に立てる方法は何かあるのか、今でも考えています。どうすれば一番良かったのかと。