緊急に受け入れた27人のうち25人は、入院から2日後に人吉球磨地域の中核病院である球磨郡公立多良木病院へ転院。病棟は相変わらず満床だが、リハビリテーションセンターの入院患者も、今週いっぱいで少しずつ転院できる見通しだ。救急を断らない方針を貫くためには、病棟の入院患者の退院調整を進めてベッドを空け、リハビリテーションセンターにも念のため10床ぐらい確保しておく計画だ。順調に行けば、来週からは入院患者の数も通常程度に戻るかもしれない。

 4月19日からは、医療支援がDMATからAMAT(全日本病院協会災害時医療支援活動班)へ引き継ぎが行われ、病院では外来もリハビリも再開した。来週には当直も通常の体制に戻せるだろう。徐々に市内のスーパーやコンビニも再開し、食料や水も買えるようになりつつある。うまく配布されていなかった支援物資も、列に並べば入手できるようになった。ここまでくれば、どうにかなると一安心している。

 ただ、地震は相変わらずだ。実は、東日本大震災の被災地での経験から、ファーストアタック後の朝礼で、職員に「本震を越える余震はないから大丈夫だ」と言ってしまっていた。さすがにここまでのセカンドアタックが来るとは予想していなかった。気象庁も「過去の経験則は当てはまらない」と言っているようだが、院長としての威厳もある。「これはないよな」というのが本音だ。

 いずれにしても、職員には嘘を付いたことになる。もはや説得力がないので、地震についてしたり顔で話すことはやめている。私は地震でもなんとか寝られる神経の持ち主だが、家族を含め、多くの被災者はみしっと音がするだけで起きてしまい、寝つきの悪い状態が何日も続いている。避難所も含め、「もう屋内にいたくない」という“建物不信”が広がっているので、あえて車中泊しているケースが多いようだ。それだけに、深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)の多発が心配である。

 同時に今回、うちのような規模の小さな病院でも、いざとなれば災害対応できると感じた。言うまでもないが、東病院は基幹病院でも、災害拠点病院でもなく、常勤医5人の民間病院だ。それでも医療支援のおかげで夜間も含め、医療の提供が続けられ、一時的とはいえ今回、病床数のほぼ倍の入院患者も診ることができた。無謀な判断のせいで、食料と水の確保はかなり大変だったが、どうにか乗り切った。また、全国からDMATがすぐに駆けつけてくれたことも大きい。日本の医療スタッフはすごいな、と改めて感じた。

室内を片付けている時間はない。

 熊本県では多くの医療機関が被災している。熊本市でも多数の知り合いの病院の建物が壊れたり、ライフラインが途絶したり、雨で水浸しになったして、医療が提供できなくなったところも少なくない。南阿蘇村では、村全体が深刻な被害を受けた。病院もそうだが、そもそも村の再建がどうなるのか、まったく先が見えない状態だ。市内の様子も心配だ。

 今後、余震が収まれば、医療支援の焦点は、避難所でのケアに移って行くだろう。東日本大震災での私自身の経験でも、避難所や被災地での支援は、地震直後とはまた違った医療やケアが必要となり、そして長期化する。これを読んでいる皆さんの支援もお願いしたい。(談)