その後、宿泊所に戻り、夜9時から多職種交えてのミーティング。その前の時間を使って30時間ぶりの歯磨きをさせてもらった。ミーティングの参加者はPCATの医師、薬剤師、PT、OT、助産師、事務職員などざっと30人。深夜まで避難者の申し送りや活動報告が続いた。それが終わりインスタントラーメンを食べ、寝袋で雑魚寝となった。夜にしっかりと余震の“歓迎”を受けたが、疲れ果てていて、恐怖を感じる間もなく寝入ってしまった。

 翌朝、8時から宿泊所のロビーにてPCATのミーティングがあり、1日の計画が発表される。その後、9時から遊楽館で行われるミーティングに間に合わせるため、車に分乗して急いで出発した。現地に着くと、私は尾田先生と遊楽館の入所者90人を診ることが決まった。診察を始めると、単純だが重大な欠点を見つけてしまった。入所者全員分のカルテが1冊にまとめられてしまっているのだ。1冊の中から入所者のカルテ記載を見つけるのは大変で、一人ひとりの診察に時間がかかる。やっとの思いで数枚の記載を見つけても、いろんな紙にいろんな先生が走り書きしているため、現時点での治療方針を理解するまで20分くらいかかってしまう。

1人1ファイルのカルテを作るぞ!
 よし、一つ目標ができた。「1人1ファイルのカルテを作るぞ!」。被災地以外の医療機関から見れば当たり前でバカみたいなことだが、この作業、震災後1カ月半たっていた被災地では困難を極めた。尾田先生がどこからか90部のクリアファイルを探してきてくれた。そう、カルテファイルなんてしゃれたもの、この避難所に届くのはいつになるのか分からない。薬も紙も文具も全てここにあるもので補っていくしかない。まず1冊の束の中から、診療録が記載された用紙を個人個人に分けていき、クリアファイルにまとめる。そして、そのファイルに氏名を書いたインデックスを張っていった。訪問診療の合間を見て弓野先生も手伝ってくれた。カルテの最初にサマリーがあると便利だと提案され、時間はかかるが、1人ずつサマリーをまとめて載せていくことにした。

 あまりに頻繁に診療する医師が代わるので、個々の患者さんの治療方針も内容もバラバラだったのだが、このサマリーで少しは改善するだろう。仕上げはクリアファイルの底辺部をカッターで切って見開きできるようにし、2穴パンチを折り目の近くの部分に開け、穴にひもを通して出来上がり。我々の作業を周りで見ていた他のボランティア団体も手伝ってくれて、全員分のファイルの外装はほぼ1日で出来上がった。

3種類の処方箋導入
 次なる難関は薬だった。避難所の中には、避難所内で薬をもらっている人、外の医療機関を受診し、そこ(もしくは近隣の薬局)で薬をもらっている人、被災前に自分が内服していた薬が分からないままの人など様々。受診していた医療機関も被災したため、処方箋はおろか、お薬手帳も、薬剤情報提供書もここにはない。どこか外国の医療のお話のようである。では入所者が今現在内服しているお薬を把握するためにはどうすればいいのか。

 一緒に熊本から行った林田貴薬剤師と元久大輝薬剤師(東京・よつ葉薬局)から笠原徳子薬剤師(よつ葉薬局社長)へと相談してもらい、突然ではあるが今日から院内処方箋、院外処方箋、臨時処方箋の“発行”を始めることに同意していただいた。早速、笠原薬剤師より最初の処方箋が渡され、私が「カルブロック」と書いた。自分の病院でいつもしていることではあるが、ここではみんながその瞬間を見ていたこともあり、妙に緊張した。さらに薬剤部が薬剤の倉庫を整理して院内処方可能な薬剤の一覧表を作った。続いて、お薬手帳を作り、処方箋のダブルチェックの仕組みもあっという間に導入してくれた。これで明日からの診療が随分効率化できる。

 あとは入所者の全体把握が医師だけでは無理なので、朝・夕の看護師の申し送りに参加させてもらえないかと看護師長さんに相談した。看護師長さんは「時間を決めてもらえば報告に行きます」と言われたが、尾田先生と相談して、支援医師の方が、看護師のタイムスケジュールに合わせて参加することに決めた。

「福島に入ってくれないか」
 さあ明日からの仕事に一定のめどがついた。空いた時間は、患者さんのサマリーをできる限り完成させることに使おう。そう考えて宿舎へ戻ろうとしたとき、予想外のことが起きた。PCAT本部より、今回のプロジェクトの責任者を務める林健太郎先生が急きょ来られて、呼び止められたのだ。そしてこう言われた。「東先生、明日いったん気仙沼に行ってから、福島に入ってくれませんか」。

 福島……。支援に来る前から、何となく行くことになるのではと感じていた場所ではある。突然だけど、できることはすると、そう心に決めてきた。「行かせてもらいます」と即答した。次回は福島での医療支援について報告します。もうしばらくお付き合いください。