4月24日、東京でPCATの研修を7時間受けた後、夜間高速バスで仙台に向かったが、車中の7時間はさすがに応えた。朝5時、バスの中で寝苦しくて目が覚めると、横には川崎市のそめや内科クリニックの染谷貴志先生が座っていた。なぜ180cm近くある大柄の男2人が並んで座ったのかよく覚えていないが、車内はかなり狭かった。染谷先生も目が覚めてしまい、車窓から満開の桜を見ながら、結局仙台に着くまで震災の医療支援や復興について熱く語り合ってしまった。仙台駅で、気仙沼に向かう染谷先生、倉敷イマイクリニックの今井博之先生、神奈川県小田原市の循環器中町クリニックの原久美子先生、藤田保健衛生大学医学部3年生の前沢琢磨氏らとは別れ、私たちは石巻に向かった(写真1)。

写真1 仙台駅前にてPCATのメンバーと

俺は医療支援に来た医師ではない
 25日の午前、石巻市郊外の丘の上に建つ福祉避難所「遊楽館」にやっと着いた。館内のアリーナには100人近くの要介護者が集められ、石巻市立病院の看護師などが24時間体制で対応している。ドアを無造作に開けようとして、すぐ館内スタッフから注意された。「被災者はいろんな人たちが避難所に入ってくることに高いストレスを受けている。このドアは被災者たちだけ通行できるようになっています」。なるほど東京の研修で聞いた通り、普通に歩くことさえも緊張しなければいけない。別の入り口から入り、スタッフの控え室を見た。白衣なんて誰も着ていない。全員が何かの作業中で忙しく走り回っている。

 現地でPCATの責任者になっている泉水信一郎先生(東京都北区の王子生協病院医師)も、私たちに手短にあいさつした後、「お疲れ様。ちょっとバタバタして……」と言ったまま避難所の中に消えていった。私はかなり疲れていたので、「まあ、ちょっとひと休みするかな」なんて考えていた。ところが、一緒に来た同じグループの飯塚病院(福岡県飯塚市)総合診療科の尾田琢也先生が、避難者が生活する体育館の中(写真2)にすぐに入っていった。続いて、札幌市のみよか内科クリニックの遠山三四夏先生、川崎市久地診療所の弓野綾先生も引き込まれるように被災者の元へ駆け寄っていってしまった。えっ、えっ、えっ、どう見ても私より疲れていそうな先生方が休まずに働き始めるなんて。

写真2 石巻市の避難所「遊学館」

 その姿を見て、やっと愚鈍な私も理解ができた。この人たちは本気で、全力で医療支援を頑張ろうとやって来ているのだ。指示されてから動いているようでは被災地では何の役にも立たない。「何かお手伝いできませんか」と自分から入っていかなければいけないのだ。わたしも体育館に向かった。今日は段ボールから仮設のベッドを約90台作る計画だという。夕方まで段ボール運びを手伝った。ここに来て最初の発見。「俺は医療支援に来た医師ではなく、支援に来た者の中で多少医療もできる者だ」と。