そんな中で午後1時からの研修が始まりました。「みなさん、こんにちは」ファシリテーターの大橋博樹先生の話を皮切りに研修がスタートしました。目の前に置いてあるのはPCATと赤い文字に、東日本大震災支援プロジェクトと印刷された腕章と首から掛ける赤いひもの付いた名札。そして約1cmの分厚い資料。「はーい。今日の研修のプログラムですけど、お手元の資料の…」。大橋先生の挨拶で研修が始まりました。

 私は一瞬めまいがしそうになりました。昼1時から夜8時まで実に7時間の研修をするというのです。医師になってもうすぐ20年のおっさん医師に7時間もの講義が必要なのだろうか、という思いがよぎりました。しかし会場を見回すと明らかに私よりベテランの医師がいます。先ほど自己紹介で頂いた名刺を机の下で確認しました。倉敷のイマイクリニックの今井博之先生でした。こんなベテラン先生にも必要な講義とは、一体どんなものか、逆に興味が沸いてきました。

 結局、不思議なことに、この7時間の講義はとても短く感じられました。さらには、被災地の現状を把握し、被災者の気持ち、要求、葛藤、苦悩を深く理解するにはこの7時間でも十分でないことが、実際現場に来てみてようやくわかりました。例えば、現場で指揮を執っている医師や看護師たちの多くが、被災者でもあることなど、この研修を受ける前には思いもよりませんでした。親兄弟を失い、さらには職場も流された看護師たちと、同じ体育館(避難所)で働くことがどういうことなのか、研修前には全く想像できませんでした。

 医療支援の後半、宮城の避難所の手伝いから、福島の診療所の手伝いに移りました。途中気仙沼を通り、三陸道に乗ってサービスエリアで売店に寄りました。その時、「支援ありがとう」とマジックで書かれた紙がドアに貼ってあるのに気がつきました。自然と涙がこみ上げて来ました。たった1週間しか支援できず、ほんの少しのことしかできなかった自分に情けなさを感じ、今まで流したことのないような大粒の涙がぽろぽろ眼からあふれ、靴を濡らしました。

 出発までの経緯はここまでにして、次回は現地での医療支援の話をしたいと思います。