前回のブログの内容に訂正があります。

 JMATの一員として行く予定だった被災地、宮城への災害医療支援が、諸般の事情でさらに延期になりました。しかし、私自身は病院における休診予定を立てていました。私は院長ではありますが、外来も担当する1医師でもあります。何回も予定変更をすると患者さんや職員たちにも迷惑をかけるので、今回の医療支援は見送ろうと一時は考えました。

PCATの一員として1週間の医療支援へ
 しかし被災地に先に入った友人から、「日本プライマリ・ケア連合学会が、東日本大震災支援プロジェクトとして、PCATという支援チームを震災直後から出して、現場で非常に貢献している。学会員でなくても参加可能」とのメールをもらいました。学会のホームページで調べてみると、医師に限らず、広く医療職のボランティアを募集していること、宮城県気仙沼市、石巻市、福島県浜通り地方を活動拠点にしていることがわかりました。

 すぐに連絡を入れると、「歓迎します」と即答で返事が来ました。そして、「できることなら4月24日の日曜から1週間参加してもらえないか」と言われました。支援時期などについて、こちらのわがままを聞いてもらったりもしたので、少しはPCATの要請も応えないといけないなと思い、こちらも即答でOKしました。

 いざ決まってみると自分の肝っ玉が意外と小さいことを自覚しました。出発前、診療の合間にふっと大津波の映像が頭の中に蘇ります。津波の被害を受けたあの場所に行くことに対し、言いしれぬ不安がわき起こります。大震災に対して何の援助もできていない自分へのもどかしさが、その不安をすぐに打ち消してくれるのですが、出発直前になって「院長、このごろボーッとしていませんか」と言われることが多くなりました。日頃、周囲が迷惑がるほど騒がしい男が、神妙な顔をして物思いにふけっているのだから、かなり不気味だったのでしょう。病棟師長からも、「もう、心は宮城でしょう」と言われる始末でした。

 しかし、そんな不安な気持ちを払拭してくれる出来事もありました。出発4日前に病院の私宛に1本の電話が入りました。電話の主は熊本のシモカワ調剤薬局で薬剤師をしている林田貴氏。前回のブログを読んで「自分も一緒に行きたい」と言ってきたのです。彼には、私の支援の窓口がJMATからPCATに変わったこと、4日間が1週間に伸びたことを伝えましたが、「PCATで一緒に行きます」と言ってくれ、一気に心が軽くなりました。「まず今夜飲みに行こう」と彼を誘い、急遽ささやかな壮行会を自分たちで開きました。当然、私も彼も翌日ひどい二日酔いでしたが…。

出発前に7時間の研修
 いよいよ出発の日。日曜朝7時過ぎに自宅を出て9時のANAに乗り込みました。羽田から集合場所の御茶ノ水、東京都医師会館の中にあるPCATの研修会場へ。どんな研修があるのか集まったメンバーも不安そうです。

 しかし、1週間分の荷物の多いこと。雑魚寝用の寝袋、コインランドリー2時間待ちとの情報のため1週間分の衣類、食料事情がわからないため非常食、非常用情報伝達のためのPCなどなど。大きな登山用ザックにも入りきらない分を、スポーツバッグに入れて両手に持つ状態。JR御茶ノ水駅の階段を上るだけで肩が痛くなりました。

 周囲を見渡すと同じような大荷物状態の人ばかりで、すでに疲れている顔を見るとグッと親近感が生まれます。こんな辛い思いをしてまでボランティアに行くのか、なにが自分をそうさせているのか…。それは皆さん、被災者のためでしょう。自分たちより何倍も何万倍も辛い思いをしている人がいる。だから、そこに行く。皆、出発前から疲れた顔をしているが、表情はキリッと引き締まっていました。