2006.03.29

【英国医療事情 連載第16回】民主主義と政治家の役割

森 臨太郎
 前回紹介したNICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)の仕事は政策作りにも近いということもあり、また英国では分娩や出産といった周産期に関連した分野は、他の分野に比べてとても政治活動が熱心であることもあり、保健に関連して英国の政治の様子を垣間見ることがある。

 なかでも、英国議会・平民院(例のビッグベンのある建物)で1年に4回開かれるAPPG (All Party Parliamentary Group)という会議はとても面白いので、いつも参加することにしている。

 このAPPGという集まりは、保健医療の各分野について、学会、慈善団体、患者団体、大学や研究所など、国中の様々な組織からの代表と、英国の保健医療のその分野を専門とする国会議員、保健省でその分野を担当する官僚などが、定期的に議会内で会合を持ち、意見交換する場である。私は、たまたま出産に関する診療ガイドラインを担当しているので、いつも妊娠出産に関するグループに招待される。

 私自身は、もともと新生児科医であるということもあるし、政策立案途中での守秘義務ということもあるので、傍観者であることが多く、逆に観察しながら、いろいろ新しい発見をしている。

 分野によって活動の熱心さは違うのだが、私の入っている出産に関するグループはとても熱心であると聞いている。国中の最前線の現場で働いている専門家や患者代表の真剣な質問に、国会議員がこれまた真剣に質問に答える様は圧巻である。

 質問する機会も公平に与えられる。そもそもこういう形で政策に関与する機会が与えられるということも驚きに値するが、最も感銘を受けるのが、議員が受け答えする時の態度である。

 英国の国会議員というのはとてもよく勉強している。少なくともそう見える。豊富な知識を持ち、必ず自分の言葉で質問に答えている。しゃべる口調、相手への目線、そういったものも、訓練されたものなのかどうかは分からないにしても、横から見ていると感心してしまう。

 私のような診療ガイドラインの作成者でも、作成発表前にはメディア・トレーニングと言って、外部の人(特にマスコミ)の前に出て話すときに注意することなどの訓練を受けるので、おそらく、訓練の賜物なのだろうが、それにしても内容についてよく勉強していると感心するので、単にそういった付け焼き刃でない努力もしているのだろうと思う。

 蛇足だが、決定権を持たない貴族院の質疑応答を見ていても、実に真剣である。選挙によって選ばれないため決定権を持たないながらも、さまざまな質問をすることで、正しい方向に向かっているかどうかを検証する良い機会になっている。儀式的なことや装飾が多いのも事実だが…。

 もちろん政治であるから、いろいろ裏では難しい点があるだろうと想像はするのだが、それでも、質問者の方はちゃんと聞いてもらったという印象は残るであろうと思う。

 さて、保健医療政策における政治家の役割とは何なのだろうかとよく考えさせられる。

 考えれば、世の中の多くのことが「バランス」によって成り立っている。保健医療政策をすべて資本主義化してしまえば、どうなるであろうか。すべてが経済効率のみで語られていくようになると、極端のその向こうに見えるものは、弱者切り捨てである。

 少し語弊があるかもしれないが、老人や小さい子ども、障害者など、医療やケアにお金がかかる割には生産性の低い社会的あるいは保健的弱者にお金をかけるのは、経済効率が悪いということになる。

 一方で、保健医療制度を今度は完全に社会主義化して、一律に無料化し、すべての人にどんなに高額でも平等に最先端の医療を提供するようにすれば、どうなるであろうか。もちろん、国が破産してしまう。また、完全な社会主義化は、英国の過去の歴史にもあるように、制度疲弊を起こし、非効率化や質の低下にもつながっていく。

 国には、個人と同様に資産や資源は一定分しかない。ある一定の収入しかない場合に、どこにどれだけお金を使うかというのは難しい課題であるが、個人レベルでも、国レベルでも毎日のように自問自答しなければいけない問題である。

 保健制度というのは商業や通常の産業と違い、お金を増やすことを目的としていない。疾病の根絶と、人々の健康の増進である。教育制度も似たような性格がある。

 保健医療の特殊性を理解した上で、要は、できるだけ、持っている資源を効率良く、平等に使って医療サービスを提供していくために、上記の自由主義と社会主義のバランスを上手に保ちながら、新しい知識を得て、そのバランスを前に(もしくは高いレベルへ)進めていく努力が必要となる。それが、私の理解している「第三の道」である。

 このようにバランスを取りつつ、レベルを上げていく努力こそ、政治の主導を必要としている部分である。なぜなら、その難しいバランスこそ、国民の総意に基づくべきだからである。そのためには、国民そのものが、この難しいバランスを理解し、それぞれの立場なりに、考えた上で、1票を投じる必要があるわけで、もし政治家が問題であるとすれば、それを選んでいる国民の問題である。

 英国でも、いつもこのような形で理想的に民主主義が働いているわけではない。政権の裏で隠されて物事が進んでいくこともあるし、個別の利益を誘導している政治家も存在する。

 一方で、国民一人ひとりの中に(社会の階層にもよるが)政治意識が強く、個人主義に基づく民主主義の理解が幅広い点を感じる部分もある。町内会などでも、しょっちゅう細かい話(例えば近くの公園に柵を付けるべきか、近くにマンションが立つか、など)で、皆が話し合っているのを見ていても、このような民主主義が根付いているのを感じる。

 政治や政府の在り方というのは、その国やその共同体を構成している人々そのものを反映しているという、考えれば当たり前のことがとても強く感じられる。そんなことを思いながら、議員の質疑応答の様子を見ていると、なかなか面白い。


■著者プロフィール
 森 臨太郎(もり りんたろう)、1970年神戸生まれ。医学博士、英国小児科専門医。日本での小児科研修を経て、オーストラリアにて新生児医療に携わり、英国にて疫学を修める。現在英国NICEの診療ガイドライン作成に携わっている。疫学研究、政策作り、日常診療と、さまざまな視点から英国医療と現政権の保健医療改革を観察している。

■ 掲載中の連載記事 ■
◆ 2005.8.26 新連載 英国医療事情】英国の医療制度、表と裏
◆ 2005.9.9 英国医療事情 連載第2回】無料の病院
◆2005.9.22 英国医療事情 連載第3回】英国の家庭医制度
◆ 2005.10.7 英国医療事情 連載第4回】病院運営を語るうえで欠かせない「トラスト」
◆ 2005.10.21 英国医療事情 連載第5回】英国医師にも上下関係がある
◆2005.11.4 英国医療事情 連載第6回】フライング・ドクター
◆2005.11.22 英国医療事情 連載第7回】英国の医師会
◆2005.12.6 英国医療事情 連載第8回】英国の医学会−−伝統と変化
◆2005.12.20 英国医療事情 連載第9回】英国の2大医学雑誌 LancetとBMJ
◆2006.1.13 英国医療事情 連載第10回】番外編 日本の医療
◆2006.2.9 英国医療事情 連載第11回】英国で医師として働くには:How To 医師登録
◆2006.2.21 英国医療事情 連載第12回】イエローカードと黒三角、医薬品の安全を支える多角的な報告システム
◆2006.2.28 英国医療事情 連載第13回】診療ガバナンス( Clinical Governance )
◆2006.3.9 英国医療事情 連載第14回】患者・一般参画 (PPI:Patient and Public Involvement)
◆2006.3.18 英国医療事情 連載第15回】ナイス!なガイドライン
◆2006.3.20 英国医療事情 号外】臨床試験の安全性:治験薬TG1412による重篤な副反応について

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