2006.03.20

【英国医療事情 号外】臨床試験の安全性:治験薬TG1412による重篤な副反応について

森 臨太郎
 英国では連日、治験薬TG1412による重篤な副反応に関する報道が新聞やテレビを賑わせている(写真)。日本ではインターネットのニュース記事を見る限り、あまり報道されていないようだが、場合によっては臨床試験のあり方を考え直す機会になるかもしれないので、ぜひ紹介しようと思い、報告する。

 事件は2006年3月13日、ロンドン北西の郊外にあるノースウィック・パーク病院構内、Parexel社という米国企業が運営している治験専用病棟で起きた。この病棟では、ドイツの製薬企業TeGenero社が開発した「TG1412」と呼ばれる薬の臨床試験が行われていた。

 このTG1412はモノクローナル抗体で、免疫細胞を活性化させることにより効果を得る。慢性関節リウマチや白血病向けの抗炎症薬として開発された。こういった形態の薬は、今回のものが目新しいわけではなく、認可を受けて問題なく使用されているものもすでにある。

 臨床試験に参加していた健康ボランティア8人のうち、この薬を投与された6人全員が投与直後から苦しみ始め、病棟は地獄の様な状況になったと報告されている。残りの2人はプラセボを投与されていたので問題なかった。6人は多臓器不全という病名で集中治療室で治療を受けているが、うち2人はかなり重篤で、顔が3倍にも腫れ上がり、「エレファントマンのようになった」というガールフレンドの言葉とともに英国のすべての新聞の1面に載った。

 最新の報告(3月18日)によれば、6人とも容態は改善の傾向を見せており、かなり重篤な2人を除いて意識も回復しているということである。現時点では予後についてはなんともいえないが、予断を許さない状況であることには変わりないと思われる。被害を受けた6人の健康ボランティアの方の1日も早い回復を祈念するばかりである。

 一般に治療に使われる薬は、開発から認可を受けて使用に至るまで、数々の段階を踏まなければいけない。細胞を使って実験室内で満足な結果が出た薬は、動物実験によって安全性が確かめられる。英国の場合、製薬会社は、こうした実験室での結果や動物実験の結果を合わせて、以前、筆者の連載で報告したMHRAという公的に組織に申請し、臨床試験を始める許可を得る。この臨床試験には4つの段階がある。医療従事者の方には常識的な内容かもしれないが確認の意味でまとめておく。

 第1段階では、健康ボランティアに投与し、薬の安全性や副反応などについて調べる。薬の体内動態や様々な投与量、投与法についても確かめる。英国では、このような健康ボランティアを募集して臨床試験を行っている専用病棟は結構多く、身体に自信のある人や、手っ取り早くお金が欲しい人のためのアルバイト先になっている。リスクが伴うので、報酬も良い。

 第2段階では、対象となる病気の人に対し、実験段階の薬であることを明示して承諾をとった上で、比較的小規模の臨床試験が行われる。ここでは副反応も重要であるが、効果の確認が大きな目的になる。通常はランダム化比較試験で行われるが、そうとは限らない。だいたい200人から500人規模である。次の第3段階の臨床試験の予備試験という意味合いもある。

 第3段階では、対象となる病気の人に対する大規模なランダム化比較試験が行われる。数千人規模となることが多い。この試験の結果により、それぞれの国の認可機関が承認するかどうかを決める。

 第4段階は認可を受けたあとに行う臨床試験で、長期の効果や副反応の起こる割合を調べるためのものである。

 英国ではこのような臨床試験が多く行われている。もちろん治験を受けるボランティアや病気の方の副収入になったり、「効くかもしれないが承認されていない新薬の投与が受けられる」などといったメリットがあるとはいえ、将来の医療のためにという良心を基にして、臨床試験が行われていることは忘れてはならない。英国では年間数百人のボランティアがおり、第2、第3段階を含めると10万人以上の方が臨床試験に参加しているといわれている。

 このような健康ボランティアには、学費を稼ぐために参加する大学生が多い。しかし、報道によれば、現在、重篤な状態にある男性のガールフレンドは、「彼は人助けだし、将来の科学のためになると話して治験に参加した」と述べたという。今回の治験で彼がもらえる報酬は1カ月前後拘束されて、約2000ポンド(約40万円)だったようだ。

 今回の事件は第1段階で起こったものである。今回の出来事の原因として、動物実験では見出せない薬そのものの副反応や、薬の量の問題、製造過程や投与過程で混入した物質など、様々な可能性がささやかれているが、今のところ捜査や調査の結果を待つしかない。製造元の製薬会社では20人の専門家チームを派遣して調査をしており、英国側もMHRAと警察が医師を含む専門家チームを結成し、捜査・調査を進めている。

 現在のところ、製薬企業の発表をみる限り、動物実験(今回の投与量の50〜500倍の投与量をサルに使った実験など)からは予見し得なかったとしているし、MHRA側としても書類に不備などはなく、同じ内容の前段階実験結果を提出して申請をすれば、現在の規定では、臨床試験を許可することになる、といった報告をしている。

 今、診療所や病院で使われている治療薬の大半は、上記のような複雑な段階を経て安全性や効果が確かめられ、市場に出ている。その過程では、今回被害に遭われた健康ボランティアや、進んで臨床試験に参加された病気の方のデータを基にしている。人間を使った「実験」である以上、安全性についての見極めをしっかり実施している必要があるのは当然だが、今後、このような臨床試験の施行が著しく制約されることになると、新しい未来の治療薬が生まれにくくなるかもしれない。皆さんが服用されている薬がこのような過程を経て生まれてきていることを認識していただいて、当事者として考えていただきたい。

 もし、製薬会社や公的機関に落ち度がなく、前段階での安全性がしっかり確認された上で今回の事件が起きていたのであったら、それこそ、医療界全体への挑戦として、さらなる治験の安全と新しい治療薬の開発という難しいバランスを高いレベルで保っていくための方策を社会全体で考えていく必要がある。そういう意味では、実は「大事件」である。

 冒頭に紹介したように、英国では、連日、ほとんどの新聞やテレビでこの事件の報道が続いている。被害に遭われた方や家族の状況を大きな悲しみとともに伝えているのは事実だが、臨床試験の危険性をいたずらに煽るメディアはなく、建設的な報道が行われていることを強調しておきたい。

 被害者や家族にとって見れば、それこそ「とんでもない」事件であり、感情的な反応が存在するもの事実である。一方で、被害に遭われた方の治療に全力を挙げている医療機関や、治療・サポート・調査に全力を挙げている(ように少なくとも見える)製造元の製薬企業や公的機関、治験の安全性確保のために建設的な報道を続けている大半の報道機関が一般国民を巻き込みながら、今後はさらに何らかの将来への良い変化へとつながっていくことを希望している。


■著者プロフィール
 森 臨太郎(もり りんたろう)、1970年神戸生まれ。医学博士、英国小児科専門医。日本での小児科研修を経て、オーストラリアにて新生児医療に携わり、英国にて疫学を修める。現在英国NICEの診療ガイドライン作成に携わっている。疫学研究、政策作り、日常診療と、さまざまな視点から英国医療と現政権の保健医療改革を観察している。


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