2006.03.08

【英国医療事情 連載第14回】患者・一般参画 (PPI:Patient and Public Involvement)

森 臨太郎
 地下鉄では乗客がみな新聞を読んでいる、というのがロンドンの毎朝の風景である。騒音があまりにうるさくて新聞を読むぐらいしかできない、ということもあるが、政治に関心の強い国民性ということもある・・・というのはこじつけだろうか。英国で仕事をしていると何気ないときに「政治に関心の強い国民性」を感じるときも多い。こういう政治への関心の高さというのが実は患者・消費者の積極的な政策決定への参加に影響しているのではないだろうかと筆者は考えている。

 患者・一般参画という言葉はブレア政権の目玉、英国保健制度改革でのキーワードのひとつである。2001年に発効された医療・社会ケア法(the Health and Social Care Act)にて、すべての英国国立保健サービス(NHS:National Health Service)の病院運営母体(トラスト)は、その方針決定に患者・一般代表の参画が義務付けられた。ブレア政権も長期化し、この患者・一般参画ということも末端まで浸透してきた。今ではどこに行っても、病院運営における方針決定場面に患者消費者代表の存在がごく当たり前のように感じるようになっている。

 私は今、NICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)という国立保健サービス内の組織で、母子保健分野の診療ガイドライン作りに携わっている。NICEの診療ガイドラインはなかなか斬新な方法で作っていると、世界の注目を集めている。その特徴のひとつがこの患者・消費者参加である。

 「『患者・消費者参加』といっても宣伝が目的で、実際の発言力はない、ということはないですか」という質問を受けたことがある。たしかに、患者・消費者の味方の「ふり」をする輩は、どこの国にも少なからずいるが、NICEの診療ガイドライン作成過程における患者・消費者参加は本物であると私は感じている。ただし、患者・消費者の方に平等の権利と発言力をもって診療ガイドライン作りに参加してもらうためには、周到な準備と長い歴史が必要である。

 周到な準備とは、患者・消費者代表の選び方と研修である。

 NICEでは診療ガイドラインの内容が決まると、患者・消費者代表の公募が始まる。患者団体を通して応募する人もいるが、個人として応募する人も多い。「患者」としてその分野の診療にどのように携わってきたか、どのような経験があるか、どのような考えをもっているかをアピールする。決まった形式の応募用紙に、ワープロできっちりまとめてくる人から、手書きでびっしり書いてくる人までいろいろである。原則的には英国内に在住しておれば、応募する権利がある。

 次は選考である。詳細な選考基準をつくるのはなかなか難しい。実際には書いた文章からその人の背景が見えてくるし、ガイドラインの作成に必要な人物像がはっきりしていれば、選考側の意見が分かれて困ることは通常ない。選考時に電話面接を行うこともある。応募用紙や電話面接の内容から得た像から大きく外れた人物が当日現れる、ということはまれである。

 選考が済んだら、次は研修である。ガイドライン作成時には、会議中も書類中にも医療疫学の特殊な言葉も数多く使われる。こういった内容の理解を助けるための研修である。

 患者・消費者代表の方を含めた会議が成功するための重要な要素としては、もうひとつ、とても重要な要素がある。それが「議長術」である。実はこの議長術、単なる技術ではなく、それなりに長い歴史が必要である。

 診療ガイドライン作りが始まる前には、議長にも研修を受けてもらう。過去に参加した患者・消費者代表が、何を困難と感じたか、どういうことをありがたいと感じたか、を伝える。また、あまり難しい専門用語が多くなると、やさしい言葉に変えるように注意をする。会議では状況に応じて一方的に話をする人を止めることも必要だし、発言の少ない人を促すことも時には必要である。会議の成功はこの議長術にかかっているといっても過言ではない。実際にこういったことにきっちりと配慮できる議長が進める会議に参加すると、自然に議論が活発化し、患者・消費者代表も「普通」に参加しているように感じる。

 なんだそんなこと分かっているし、普段からしている、という人もいるかもしれない。しかし、そう主張される方も、英国でこのような会議に参加する機会があれば、ぜひ見学してほしい。議長の細やかな配慮が、これしかないというタイミングで入り、会議が進められていく様子はまさに芸術のようである。

 私もこのような研修を受けたこともあるが、声のトーンを変えることや、視線の合わせ方、といった技術的なことから、意見を聞き入れること、会議の流れを読むこと、時には威厳を持って会議を止めること、そして、議長は一方的な意見を持たないといった本質的なことまで多岐にわたる。根底にあるのは違う背景を持った相手に敬意を払い、理解しようとするという当たり前のことにほかならない。個人個人がすべてしっかりとした意見を持ちながら、社会全体としても機能させるという英国流個人主義の歴史と無縁ではないと感じる。あまり英国を持ち上げたくはないが、学ぶべきことが多いのも事実である。

 あらためてNICEの診療ガイドライン作りを見ると、やはり「患者・消費者側の視点」が反映されていると確信する。とくにQOLや痛みに関すること、治療の選択など、個々の推奨のなかにこういった視点が静かな形で生かされていると思う。こういったバランスのとれた診療ガイドラインほど、現場が使いやすい。

 重要な決定事項はそのサービスを受ける側も含めて話し合いをして決める、というのは考えればごく当たり前のことである。日本でも患者・消費者代表が参加して診療ガイドラインが作成されたと聞く。お隣のフランスでも同じように、患者・消費者代表が参加する診療ガイドライン作りが始まった。これからもこのような動きはますます拡大していくのではないだろうか。


■著者プロフィール
 森 臨太郎(もり りんたろう)、1970年神戸生まれ。医学博士、英国小児科専門医。日本での小児科研修を経て、オーストラリアにて新生児医療に携わり、英国にて疫学を修める。現在英国NICEの診療ガイドライン作成に携わっている。疫学研究、政策作り、日常診療と、さまざまな視点から英国医療と現政権の保健医療改革を観察している。


■ 掲載中の連載記事 ■
◆ 2005.8.26 新連載 英国医療事情】英国の医療制度、表と裏
◆ 2005.9.9 英国医療事情 連載第2回】無料の病院
◆2005.9.22 英国医療事情 連載第3回】英国の家庭医制度
◆ 2005.10.7 英国医療事情 連載第4回】病院運営を語るうえで欠かせない「トラスト」
◆ 2005.10.21 英国医療事情 連載第5回】英国医師にも上下関係がある
◆2005.11.4 英国医療事情 連載第6回】フライング・ドクター
◆2005.11.22 英国医療事情 連載第7回】英国の医師会
◆2005.12.6 英国医療事情 連載第8回】英国の医学会−−伝統と変化
◆2005.12.20 英国医療事情 連載第9回】英国の2大医学雑誌 LancetとBMJ
◆2006.1.13 英国医療事情 連載第10回】番外編 日本の医療
◆2006.2.9 英国医療事情 連載第11回】英国で医師として働くには:How To 医師登録
◆2006.2.21 英国医療事情 連載第12回】イエローカードと黒三角、医薬品の安全を支える多角的な報告システム
◆2006.2.28 英国医療事情 連載第13回】診療ガバナンス( Clinical Governance )

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