2006.01.13

【英国医療事情 連載第10回】番外編 日本の医療

森 臨太郎
 日本に一時帰国した際、編集の方からお勧めをいただいて、海外から見た日本の医療のことを考えてみた。仕事の合間をぬって京都東山、高尾山など、紅葉の美しいところをまわることができた(写真)。日本は相変わらず美しい国である。

 日本の医療などちっぽけなこのコラムで書き切れるわけがない(もっとも英国の医療も同様であるが)。ただ、私が日本に滞在していつも思うことに「良心」がある。今回は医療の良心について書きたい。

 日本でがんばっておられる医療者の方と意見交換するといつも、「英国はすばらしいですね、それにしても日本は・・・」と日本の医療が遅れているという認識をもたれている方が多い。

 確かに日本の医療は遅れている部分がある。全体としてのシステムを考えること、患者や医療者の権利や人権を守ること、臨床研究を正しくすることで医学そのものに貢献すること、日本や米国以外の国の医療を考えること(途上国も含めて)、遅れていると思われる部分は数え切れない。

 それでも、実際に患者さんが受けられている医療は平均的に日本の方が、少なくとも英国や米国と比べて、高い質が保たれていると実は感じる。私が経験してきた限り、そう思う。世界一の平均寿命や周産期死亡率は、単に社会的な要因だけに支えられているわけではない。

 私も以前は日本で医療者として働いていた。最近になってようやく海外で医療者として働いている時間の方が長くなったが、つい最近までは半々ぐらいであった。地方で身を粉にして働く小児科医の一員であった。

 最近、小児科医と産婦人科医が足りなくて困っていると言うことは新聞での報道もあり、周知の事実となりつつある。小児科医も産婦人科医も忙しい。

 私がオーストラリアへ渡る直前の1カ月の生活を今でも憶えている。予定日よりも4カ月半早く生まれた私の担当の赤ちゃんの出生体重は、普通の赤ちゃんの10分の1であった。その赤ちゃんが生まれてから、私は夜昼関係なく、曜日関係なく、外来の途中であろうと、真夜中であろうと、3〜4時間おきに起きて様子を見たり血糖を測る生活が続いた。当然休日などない。別に強制されていたわけではない。同じ患者さんを同じ医師がみ続ける方が容態がより把握できるので、自らそうしていただけである。本当に「元気に退院してほしい」という気持ちからそう働いていたと思う。もっともそれができる体力があったからなのだが、忙しい生活であった。労働基準法を守れている小児科医など見たことがない。

 同僚たちのことも憶えている。昼間は丁寧に一人ひとりの患者さんを診るため、夜になってから必死に事務仕事をしている医師たち、飲み会中でも手術や手技の手つきを練習している研修医、緊急時に発揮する医師と助産師のあうんの呼吸、気が付かないところで患者さんにこまやかな心遣いをしている看護師、病気のことをたくさん調べて質問に来る検査技師、着実に美しいレントゲン写真を仕上げてくれる放射線技師、時には叱咤しながら辛抱強く患者さんの社会復帰を願う訓練士、患者さんの家族や退院後の環境も考えているソーシャルワーカー、実際の薬の飲み方まで患者さんへ丁寧に説明してくれる薬剤師、患者さんについて医師が見落としがちな点まで上手に教えてくれる心理士、私のぞんざいな事務仕事をいつも補足してくれていた事務の方々、あちらこちらに残された隙間の仕事を埋めてくれながら笑顔を欠かさないボランティア、・・・枚挙に暇がない。

 実はこの良心、病院にいる医療者だけではない。厚生労働省をはじめ、医療政策や公衆衛生に携わる医療者たちも含む。全体としてのシステムが欠けていると書いたが、なにもこれは厚生労働省の方の責任でもない。全体的な問題があると、政府や役人が問題と見る向きもあるが、本当はみんなの問題である。実際にこういった省庁で働く方々の働きぶりや考えていることを聞くと、ここにも良心に支えられた丁寧で効果的な仕事が見えてくる。霞ヶ関の夜遅くまで明かりがついた下で動く人影を見るといつも思う。いろいろ問題はあるにせよ、厚生労働省の役人一人ひとりの頑張りに支えられて日本の医療体制があり、その体制により、質の高い医療が患者さんに伝わっているのも事実である。

 医師、看護師、助産師、その他すべての領域の医療者たちの多くに、自分を譲ってでも患者さんたちの健康を優先する気持ちが見られる。患者さん側からは見えない部分でも、こういう良心でいっぱいである。日本の医療がこういった医療者たちの良心によりシステムのほころびが埋められていることを知っていてほしい。英国にそれがないとは言えないが、日本ほど多くの人がこういう良心を持っている場所はなかなかない。

 法律(例えば労働基準法)を守ったら医療そのものが成り立たなくなる、というのも変な話である。今日明日、1分1秒の日本の医療がこういった医療者たちの良心で成り立っていることを心して、医療の質と安全を高めるシステム、医療者たちの勤務状況を改善するシステム、経済効率を高めるシステムを一刻も早く導入していただきたいと思う。もっとも今の法律や制度が現状そのものさえ反映していないので、様々な職種の役割分担など、抜本的な改革はいずれ必要であろうが・・・。

 一方で、どのようなすばらしいシステムを導入しても、かならず隙間が生まれることも認識しておく必要もある。もちろん、人々のやる気を喚起させるシステムを考えることもとても重要だし、まだまだ欠けていると思うが、こういうシステムにも限界がある。数字に表れる部分はシステムの改善がかなう余地も大きい。ただ、一人ひとりの患者さんの受け取る医療の質や安全には、数字にならない部分の影響もかなり大きいのである。

 もう一つ、日本の医療者が海外で日本を紹介する際、決して卑下する必要はない、遅れた部分、海外に学ぶべき部分はたくさんあるが、一方でこのように誇りにできる部分もたくさんあるのである。自信を持って海外から学びたい。

 良心に頼ってはいけない。良心を失ってはならない。


■著者プロフィール
 森 臨太郎(もり りんたろう)、1970年神戸生まれ。岡山大学卒業後、同大学関連施設にて小児科研修。小児科認定医(のち専門医)、医学博士、国立福山病院勤務を経て、2000年に渡豪。アデレード母子病院にて新生児科中級専門医、キャンベラ総合病院にて新生児科上級専門医。2003年より英国在住。英国ではロンドン大学熱帯医学・公衆衛生学大学院にて疫学修士を取得し、現在、国立母子保健共同研究所にてNICE診療ガイドライン作成に携わっている。王立ロンドン病院にて新生児科医を、ロンドン大学熱帯医学・公衆衛生学大学院にて学外指導教官を兼務。周産期という分野の中で、疫学研究、政策作り、日常診療と広い視点から英国医療と現在のNHS改革を観察している。


■ 掲載中の連載記事 ■
◆ 2005.8.26 新連載 英国医療事情】英国の医療制度、表と裏
◆ 2005.9.9 英国医療事情 連載第2回】無料の病院
◆2005.9.22 英国医療事情 連載第3回】英国の家庭医制度
◆ 2005.10.7 英国医療事情 連載第4回】病院運営を語るうえで欠かせない「トラスト」
◆ 2005.10.21 英国医療事情 連載第5回】英国医師にも上下関係がある
◆2005.11.4 英国医療事情 連載第6回】フライング・ドクター
◆2005.11.22 英国医療事情 連載第7回】英国の医師会
◆2005.12.6 英国医療事情 連載第8回】英国の医学会−−伝統と変化
◆2005.12.20 英国医療事情 連載第9回】英国の2大医学雑誌 LancetとBMJ

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